コミュニケーションについての雑感⑩ 「ネアカとネクラ」の流行
昭和62年(1987年)頃、テレビの影響で「ネアカとネクラ」という言葉が非常に流行したことがあります。
単にその時々で「明るい様子」「暗い様子」ではないわけです。
「あいつは根っから明るい」「根っから暗い」という人間の仕分け。
当時、小学生をはじめとしてかなりの若者が「ネクラのレッテルをはられたら仲間内で生きていけない」と思い込み、懸命になって「いつも明るく陽気な自分」を演じていました。
当時私は小学4年生の担任だったのですが、このことについてしっかりと考えなければと思ったのはある男の子の保護者からの相談でした。
「毎日ぐったりとした顔で帰ってきて、ひどいときにはトイレにかけこんで吐くんです」
その子は、クラス内でいつもメチャクチャ陽気でみんなを笑わせる人気者でした。
みんなのいないところでそっと聞くと、
「ネクラって絶対思われたくないから、がんばっって明るくしてる。
先生このこと絶対みんなには言わないでよ。本当はネクラだったんだ、って思われちゃうから」
そこでクラス全員に「ネアカとネクラ」という題名の作文をかいてもらったんです。
ごく一部ですが紹介します(昭和62年12月18日)
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*苦悩している
・私はみんなからネアカというレッテルを貼られている。
私は本当はネクラ。 いつも家に帰ったら疲れてしまう。 みんな私をオシコロしているようなものだ。
なんでネクラとかネアカ という言葉があるんだろう。 この言葉があるから 私はいつも 演技しなくちゃならないんだ 。学校ではネアカ、塾や 家なんかではネクラ。
こんなんじゃすぐ あの世に行っちゃうよ 。
・ みんなの前に行くと のぼせてアホなことをやってしまう。 それをやってしまって家に帰るとなんか暗く 気持ち悪くなってしまう。
*ネアカに生きる肯定的意識
・ 僕はみんなを明るくする 神だから魔法の矢というものがあります 。その矢に当たるとみんな明るくなるのだ。
・ 先生はもちろん ネアカであるのだ。 誰だってそう思うに決まっている。 いつもピンピンピンの先生だからです。 そして先生にとても似ているのがあります。 少し太っているけど まんまるです。 それは夕日ちゃんです。夕日 ちゃんもピンピン 光っててネアカです。 いつもいつも 夕日ちゃんは私と遊んでいるのです。
*否定的見解
・ 無理に明るくしたりする人はそれで本当の自分の心が明るくなるのか不思議です。 そんなようじゃ毎日が楽しくならないと思う
・ 私はネアカもネクラ も嫌です。 どうしてかと言うとどちらかに偏っていると嫌われる感じがするからです。
・私は根 から 明るいネアカは嫌い
*自分にはどっちもあるよ
・僕は多分ネアカと人に思われていると思う。 だって 僕自身が自分は明るいと思っているから。 僕は人に笑ってもらえるととても嬉しい気になれる 。でも本当の僕は多分どっちでもないと思う。
・ある人のことをネアカとかネクラとか言ったりウワサするのは大好きだけど、人から言われるのは死ぬほど嫌だ。 僕は普通が一番いい。
・私は、見かけはネアカのネアカの大ネアカ。特上のネアカですがね。 時にはさーっと 暗く 真剣 色にそまる時もあるんですよ。
*マイペースで生きていく
・ネアカは どっちかと言うとバカだ。ネクラはどっちかと言うとお化けだ。
ネクラだってネアカだってどっちでもいい。
「自分のペース」と友達で生きる。
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クラスでは「人間は明るい、暗いも含めていろんな面を持っているのは、みんなも今まで生きてきて感じているだろ。
それが人間の自然な姿なんだよ。テレビとかで流行したからといって、それが真実とは限らないからね」
というようなことを話した覚えがあります。
そして少なくともこのクラスの中では、そうしたレッテルをはったり、極端に偏った人間の見方はやめようと呼びかけました。
みんなすぐに共感してくれましたね・・・・よほど心の重荷になっていたんだと思います。
世の中ではそれからしばらくして、大きな反動がやってきました。
みんなと一緒だと無理してでも明るくしていなければならないから疲れると。
一緒にカラオケや飲み会とかにいくもの苦痛だと。
だから「一人になりたい」
ただ、普通に独りになると「ネクラ」と言われてしまうから、なんだかんだと理由をつけたり、さりげなく身を隠す・・・・・大学生などで、みんなと離れてトイレでこっそりと昼食をとる若者がふえてきた、なんてテレビで話題にもなっていました。
あれから数十年
「ひきこもり」が社会問題として騒がれ、そして今では当時では考えられないほど対人関係で苦しむ方々が増えています。
連載②でもふれましたが、このネアカ意識が「社交性」と「社会性」の混同という形で今でも影響しているのではないかな、とも感じています。
この雑感連載は「方法」を提案しているのでないだけに、何の役にも立たないと思われていると思います。
でも「ネットなどにある方法」でうまくいかない、というのならば、是非一緒に人間の原点にふりかえってみませんか、ということで連載を続けています。